関西中高一貫校・教員のブログ

関西の私学中高一貫校に勤める教員のブログ。国語科。現在中学担任。実践教材などを主に紹介。

国語の遊び授業②四コマ漫画

国語嫌いの生徒は、長い文章をなかなか書きたがらない。文章を書かないことには、上達もしないわけであるが、そもそもスタートから大きな抵抗感を持っていることが多い。そのような生徒に書いてもらうにはどうしたら良いか考えた。

そもそも文章を書くには、書くべきテーマが必要である。何でもよいから書けといっても書けないものである。思い出したのは、東大の英語の入試問題である。東大の英語の入試では、イラストが一枚提示され、その状況を英作せよ、という問題があった。これが使えると考えた。

状況を説明するのには、英語であっても、日本語であっても同じことである。そこで次のような素材を見つけて実践した。生徒には、まず以下の四コマを「黙って」見るように指示する。そして別の白紙に、四コマの内容を日本語の文章でわかりやすく書くように指示する。その際、「3コマ目で切ってるのなにかなあ」などと発問する。分かっても友達と喋らせない。(読めていない子は、大根とかバームクーヘンとか言う。)ここで、ピンときた子は勢いよく書く。

そして、最後に、この四コマ漫画のタイトルを「漢字二字でつけなさい」と言う。

 

 

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高知市長賞「節約」 枡田善久(http://www.kfca.jp/mangakan/?p=1353

 

もちろん切っているのはトイレットペーパーである。そしてタイトルは「節約」である。惜しい子は、「復讐」というものが多い。「復讐」も確かにそうであるが、夫が「なぜ」怒っているのか。妻が「なぜ」細く切ったのか、に着目したい。絵の中から、「節約」の二文字こそが浮かび上がってくると読み取りはバッチリである。

 

閃いた生徒がどきどきしながらも必死に文章を書いていく光景。20分程度で終わる内容であるが、これは去年一年間を通して行った中で、授業する側として、最も満足感の合った授業であった。

 

 

国語の遊び授業➀目的

 

中学一年生を持っていると、毎日口語文法の退屈な授業をしていては、可哀そうになってくる。そこで、時々遊びの授業をしてあげる。--というのは生徒側の立場に立った言いぶりであるが、実際はこちらとしても、毎日同じ授業では飽き飽きしてくるというのが本音である。生徒も教師も退屈していては仕方ない。それで、時々、遊びの授業をする。「遊び」というのは聞こえは悪いが、結局、中学一年生くらいの子どもにとっては、その授業が好きかどうか、もっというと、その授業を受けていて楽しいかどうかが、その子の自発的学習に大いに作用するものである。つまり、興味を持ってもらうことが、まず大切だと考える。そこで、時々以下のような「遊び授業」を行う。

これを行うと、生徒は活き活きとする。授業が楽しいと言う。そして、その後に行う、「かっちり」とした真面目な授業の入り方も格段にスムーズになる。

それで行っている。

 

 

「は」の変遷。ハ行点呼音。

 

「かは」「うるはし」「あはれ」……。こういうものはこんにち「か」「うるし」「あれ」と読む。「は」と書いているのに「わ」と読む。これはなぜなのか?

「はな」「はる」「はかなし」……。こういうものはこんにち「な」「る」「かなし」と読む。こちらは「は」と書いて「は」と読む。この違いはなぜなのか?

 

ハ行「は・ひ・ふ・へ・ほ」の音声は、実は、歴史の中では一定ではなかった。

古代においてはハ行は [p] の音で発音されていた。

つまり、「母(はは)」は「パパ」と発音されていた。

 

これが古代~室町時代にかけて、ハ行は [ɸ] の音(ファフィフゥフェフォ)で発音されるようになった。

つまり、「母(はは)」は「ファファ」と発音されるようになった。

(たとえば後柏原天皇『なぞたて』(1516)には、「はゝには二たびあひたれどもちゝには一どもあはず くちびる」という例が実際に見られる。)

 

そしてこの [ɸ] で実際に語中の「は」を発音してみると発音しにくいことに気づく。

例えば「かふぁ」「あふぁれ」となる。

「ふぁ」と言うときに唇が疲れるのが実感できる。

この唇が緩んで(唇音性が緩んで)発音される音が「わ」なのであった。

だから、「かは」の表記は、「かわ」と発音されるようになったのであった。

 

一方で語頭の [ɸ] はまだ発音しやすいように感じられる。

それ故、「はな」の表記は「ふぁな」、「はる」の表記は「ふぁる」となり、それは江戸時代には今日と同じ [h] の音で「はな」「はる」と読まれるようになったのであった。

 

まとめるならば、「川」と「花」の音声は、古代「かぱ」と「ぱな」であったものが、「かふぁ」と「ふぁる」になり、それが「かわ」と「ふぁる」となり、それが室町時代ころまで続いた。そして江戸時代に「かわ」と「はる」となり、今日に至る。

 

ちなみに、「かは」の「は」を「わ」と読むこと(ハ行表記をワ行で読むこと)を「ハ行点呼音」という。

 

面白いのは、文字と音声があった場合、変わるのは音声ということである。文字は、例えそれが現代の社会の発音と乖離していても、そのまま変わらず運用されていくのである。文字は、そうそうなことでは変わらないということなのだ。

 

 

「淡海の国」と「遠つ淡海の国」 近江と遠江の由来

柿本朝臣人麻呂歌一首

近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ(三・二六六)

 

右は、『万葉集』における人麻呂の歌。一首の意は、「近江の海の夕べの波にさわぐ千鳥よ、お前が鳴くと心もしっとりとしおれるように、古(去にし方)のことが思われる」、といったものとなる。「古」とは、天智天皇の近江朝の時代を指すと考えて良い。いわゆる「近江荒都歌」(一・二九)では、人麻呂は、近江の都の荒廃した様子を嘆いてもいる。

ところで、「近江の海」とは、今日の琵琶湖のことを指す。原文では、「淡海乃海」となっている。どうして、「湖」であるのに、「海」と言って良いのか。

それは、古代では、「海」の語はいわゆる「湖」のことも指し得たからである。『万葉集』では、他に、「布勢の海」といった例もある。

しかし、今日の海を指す「海」と今日の湖を指す「海」には、呼び分けもあった。

今日の海を指す「海」は、(上代においても単に「海」ということが普通であったが、しかし)時には「シホウミ」(潮海)といった。それに対して、今日の湖は「アハウミ」(淡海)、「ミズウミ」(水海)といった。辛くない「アハ」い海であるからアハウミであり、淡水の淡の字を当てて「淡海(アハウミ)」としている。同様に、シホではなくミズの海であるから「水海(ミズウミ)」としている。

これは国名にも生きている。

淡水の湖である「淡海(アハウミ)」が、それも巨大なアハウミが存在する国がある。この国自体を、「淡海(アフミ)」といった。琵琶湖を擁する国、今日で言うところの滋賀である。対して、もう一つ、大きな「淡海(アハウミ)」が存在する国がある。浜名湖を擁する静岡西部地域である。浜名湖の方は、都から見て、より遠くにある方の「淡海(アハウミ)」である。それで、浜名湖の方は、「遠(トホ)つ淡海(アフミ)」とされた(「つ」とは、上代の格助詞で「の」の意)。転じて、琵琶湖の方は「近(チカ)つ淡海(アフミ)」となる。大宝年間に国名表記が漢字二字に統一された。この時に例えば「紀の国」は「紀伊国」と表記されたが、それと同様に、「淡海」を「江」の一字に変換し、「つ」を省略することで、浜名湖を擁する「遠(トホ)つ淡海(アフミ)」の地域は、「遠江(トホツアフミ)」の国として漢字二字で表記された。同様に、琵琶湖を擁する「近つ淡海」の国は、「近江」と表記され、こちらは単に「アフミ」と訓まれた。

こうして出来た「遠江(トホツアフミ)」と「近江(アフミ)」が、発音の変遷を経て、「遠江(トオトウミ)」と「近江(オウミ)」となり今日に至る。

琵琶湖と浜名湖、この二大湖がそれぞれ旧国名の由来になっているのである。このように地名は歴史を抱えている。

 

 

「幸せ」と「仕合せ」

 

今、人を見ては、「幸せ」かどうかと言う。あるいは自分の今の状態についても「幸せ」あるいは「幸せじゃない」という。例えば、恋愛が成就したら「幸せ」というし、失敗したら「不幸」という。あるいは就活で希望の会社に入れば「幸せ」というし、入れなければ「不幸」という。一方で、我々はそのように言うことが、少し実態にそぐわない感じがあることも知っている。恋愛や就活の希望が叶うことが、その人の一生を決定するものでないことを我々は知っているからである。

 

「しあわせ」はもともと「為合はせ」といった。これは「行為の巡り合わせ」というような意味合いである。だから「為合はせが良い」(行為の巡り合わせが良かった)「為合はせが悪い」(行為の巡り会わせが悪かった)と言ったように、「為合はせ」は下に良い悪いをつけて言うものであった。日本における「しあわせ」の本義はこれである。

 

だからあるいは失恋したり、あるいは試験に落ちたり、あるいは就職で希望が叶わなかったり、あるいは病気になったり……こういう苦難が起こると我々は「不幸だ」と思ってはならない。それは実は「為合わせが悪い」だけなのである。これは、語がそうであるように、一時的なものなのである。たまたま運勢の立ち回りが悪いだけであって、不幸なのではない。これこそが日本における「しあわせ」の本義なのである。

 

長い人生の中で「為合はせが良い」ことも「為合はせが悪い」ことも当然ある。大事なことは、とある一つの事象を取り上げて「幸」「不幸」を語らないことである。我々は一時的な「為合はせの良し悪し」に過度にとらわれてはいけない。「しあはせ」はたまたまその瞬間の運勢の良しあしに過ぎないのである。確固たる「幸せ」というものはないのである。できることは、「為合はせ」の良い状態を長くしていくことが、日本人にとって理にかなったしあわせなのである。失恋や、就職失敗や、病気は、「為合はせ」がたまたま悪い状態にすぎないのであって、それは不幸でも何でもないのである。 「為合はせ」の良い状態が、結果的に長く続けば、最後にまとめて「幸せ」と呼んでも良い程度のものである。