「は」の変遷。ハ行点呼音。
「かは」「うるはし」「あはれ」……。こういうものはこんにち「かわ」「うるわし」「あわれ」と読む。「は」と書いているのに「わ」と読む。これはなぜなのか?
「はな」「はる」「はかなし」……。こういうものはこんにち「はな」「はる」「はかなし」と読む。こちらは「は」と書いて「は」と読む。この違いはなぜなのか?
ハ行「は・ひ・ふ・へ・ほ」の音声は、実は、歴史の中では一定ではなかった。
古代においてはハ行は [p] の音で発音されていた。
つまり、「母(はは)」は「パパ」と発音されていた。
これが古代~室町時代にかけて、ハ行は [ɸ] の音(ファフィフゥフェフォ)で発音されるようになった。
つまり、「母(はは)」は「ファファ」と発音されるようになった。
(たとえば後柏原天皇『なぞたて』(1516)には、「はゝには二たびあひたれどもちゝには一どもあはず くちびる」という例が実際に見られる。)
そしてこの [ɸ] で実際に語中の「は」を発音してみると発音しにくいことに気づく。
例えば「かふぁ」「あふぁれ」となる。
「ふぁ」と言うときに唇が疲れるのが実感できる。
この唇が緩んで(唇音性が緩んで)発音される音が「わ」なのであった。
だから、「かは」の表記は、「かわ」と発音されるようになったのであった。
一方で語頭の [ɸ] はまだ発音しやすいように感じられる。
それ故、「はな」の表記は「ふぁな」、「はる」の表記は「ふぁる」となり、それは江戸時代には今日と同じ [h] の音で「はな」「はる」と読まれるようになったのであった。
まとめるならば、「川」と「花」の音声は、古代「かぱ」と「ぱな」であったものが、「かふぁ」と「ふぁる」になり、それが「かわ」と「ふぁる」となり、それが室町時代ころまで続いた。そして江戸時代に「かわ」と「はる」となり、今日に至る。
ちなみに、「かは」の「は」を「わ」と読むこと(ハ行表記をワ行で読むこと)を「ハ行点呼音」という。
面白いのは、文字と音声があった場合、変わるのは音声ということである。文字は、例えそれが現代の社会の発音と乖離していても、そのまま変わらず運用されていくのである。文字は、そうそうなことでは変わらないということなのだ。