関西中高一貫校・教員のブログ

関西の私学中高一貫校に勤める教員のブログ。国語科。現在中学担任。実践教材などを主に紹介。

「幸せ」と「仕合せ」

 

今、人を見ては、「幸せ」かどうかと言う。あるいは自分の今の状態についても「幸せ」あるいは「幸せじゃない」という。例えば、恋愛が成就したら「幸せ」というし、失敗したら「不幸」という。あるいは就活で希望の会社に入れば「幸せ」というし、入れなければ「不幸」という。一方で、我々はそのように言うことが、少し実態にそぐわない感じがあることも知っている。恋愛や就活の希望が叶うことが、その人の一生を決定するものでないことを我々は知っているからである。

 

「しあわせ」はもともと「為合はせ」といった。これは「行為の巡り合わせ」というような意味合いである。だから「為合はせが良い」(行為の巡り合わせが良かった)「為合はせが悪い」(行為の巡り会わせが悪かった)と言ったように、「為合はせ」は下に良い悪いをつけて言うものであった。日本における「しあわせ」の本義はこれである。

 

だからあるいは失恋したり、あるいは試験に落ちたり、あるいは就職で希望が叶わなかったり、あるいは病気になったり……こういう苦難が起こると我々は「不幸だ」と思ってはならない。それは実は「為合わせが悪い」だけなのである。これは、語がそうであるように、一時的なものなのである。たまたま運勢の立ち回りが悪いだけであって、不幸なのではない。これこそが日本における「しあわせ」の本義なのである。

 

長い人生の中で「為合はせが良い」ことも「為合はせが悪い」ことも当然ある。大事なことは、とある一つの事象を取り上げて「幸」「不幸」を語らないことである。我々は一時的な「為合はせの良し悪し」に過度にとらわれてはいけない。「しあはせ」はたまたまその瞬間の運勢の良しあしに過ぎないのである。確固たる「幸せ」というものはないのである。できることは、「為合はせ」の良い状態を長くしていくことが、日本人にとって理にかなったしあわせなのである。失恋や、就職失敗や、病気は、「為合はせ」がたまたま悪い状態にすぎないのであって、それは不幸でも何でもないのである。 「為合はせ」の良い状態が、結果的に長く続けば、最後にまとめて「幸せ」と呼んでも良い程度のものである。